冬至が過ぎ
小寒を迎える
例年通り
畑の片付けの後は
御節を仕込み
あっという間に
七草粥のシーズン
らしいが
何を大切にし
何を祝うのか
そもそも
冬至が過ぎ
生命が動き出す
ということでの
復活祭であるし
カエサルが
気にもしてなかった
空白の60日間だったり
そんなローマの話しで
わちゃっとなった
新春ってものは
春を迎えれているのか
信仰と
概念と
いうやつは
今の人類に
大きな
目的と支配と秩序
を齎したが
その抽象を
盲目的に従う
1%の意思
とは
何を意味してるのか
反論的に
聞こえる人も
少なくないと思うが
それはただ
それでしかなく
トートロジーと言うのか
老荘と言うのか
無意味な意味
と
意味のある無意味
と
毎年
この
半月くらいの間には
なんの意味もない
こんなことを
良く考える
冬至が過ぎ
最初の満月に向け
上弦の月となる
シゼントトモニイキルコト 拝