中秋の名月
なんて言う言葉
があるが
一昔前は
13夜の月
のことを指していた
一昔前
と言う表現は
現在は、
15夜の満月が
その対象とされている
ようであるから
で
ここで
間違いだ、とか
ものを知らない
みたいなことを言うのは
老害って
やつなんだろう
皮肉
っぽい書き出し
だが
言語と同じ様に
文化や
美意識は
時代や
テクノロジーや
イデオロギーによって
大きく変わるもので
しだらない、や
あきばはら
と
今は言わないのと同じである
印象派が
インプレッションに
美を見出したり
現代アートが
文脈による
アンチテーゼや
ジンテーゼに
美を帰結させたり
時代の変化
価値観の変化
は
言語としての
抽象概念すら
その意味を変化させる
13夜の月
少し欠けていることに
美の哲学を置いた
日本人の思考
取り分け
東洋文化圏の
哲学とも言えない
信仰の様な考え方から
詫びしい・寂しい
と言った
貧しさの中にある
精神性としての美
侘び寂び
や
乙
と言う
最上ではないことへの
慈しみ
と言った
完全ではないもの
満ち足りていないもの
への
独特の美学
おそらく
謙虚の美徳などは
これらの思考からの派生
なんだろうが
グローバリズム
が進むにつれ
価値観の画一化は
西洋文化圏への統合
を加速させる
そこには
民主主義であったり
資本主義であったり
信仰としてのイデオロギー
による影響も大きいし
解釈については
微妙ではあるが
Appleが追求する禅
についても
東洋的な極端なミニマリズム
の影響は受けつつ
西洋的なものに
変化していった
冒頭にも言ったように
これは
良い悪い
の話しではなく
社会背景による
必然的な変化
でしかない
が
その
変化の変遷
を理解し
解釈することが
抽象概念を受け取ることの
面白み
ではないだろうか
美しい
心の
イノセンティビィティな変化
に従うことを
善し
とした
東洋思想
であったが
いつしか
社会道徳の変化
に染まっていく
思考の何らかのバイアス
に気付くことはない
現代の文化
が
辿り着く
美しさ
とは
何を意味するのか
それも
趣のあることである