最終目標は全ての生き物が自然体で生きられる場所
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知床財団 吉澤茉耶

Profile

吉澤 茉耶(よしざわ・まや)
公益財団法人 知床財団

1982年 奈良県生まれ。世界自然遺産地域にある公益財団法人 知床財団で公園事業係としてヒグマと観光客のための公園管理対策に関わっている。アラスカへの留学経験や軽井沢にあるNPO法人ピッキオでのツキノワグマ対策、そして島牧ユースホステルなど、常に深淵な自然環境に身を置き、多くの方への自然暮らしサポートを幅広いフィールドで展開し活躍している。

Relay Baton Introducer

リレー前話、島牧農業振興会の波多野信夫さん のエピソードテーマは「"縄文的暮らしの復刻"」でした。
アイヌ文化の自然に向き合う姿勢に迫ったリレーバトンは、知床財団でヒグマ対策をされている吉澤茉耶(よしざわ まや)さんへと紡がれていきます。
世界自然遺産にも認定されている知床にて、自然環境保全への取組や経緯を、多岐に渡りお話をお伺いしました。

そして本稿はアウトドアブランドpatagoniaでの勤務経験のある刑部広平がビアストラリレーのインタビューアとして心強い初参加となります。

世界自然遺産 知床の茉耶さんの元へ

 

——— 茉耶さん、本日はどうぞ宜しくお願いします。

茉耶: はい。こちらこそ宜しくお願いします。

——— BIASTRA [ビアストラ] の読者様で、初めて茉耶さんを知る方もいらっしゃると思いますので、詳しいプロフィール、そして知床に移住されるまでの経緯などを、詳しくお伺いさせてください。

 

吉澤茉耶 : 公益財団法人 知床財団
吉澤茉耶 : 公益財団法人 知床財団

 

茉耶: はい。吉澤茉耶(よしざわ まや)です。1982年11月25日生まれの射手座の戌年。血液型はA型、奈良県の大和郡山市出身です。

現在の仕事は、観光客へのヒグマの対策とその仕組みづくりが中心、知床財団の総務管理部公園事業係所属、夏の間は知床五湖(しれとこごこ)が、冬は知床自然センターが勤務地になります。

 

——— 茉耶さんの故郷のご家族構成は?

茉耶: 父は、長年、奈良の県立博物館の学芸員として働き、中世以降の庶民の生活の中の行事や民家・民具に纏わるような仕事をしていました。

母は、高校の国語教師をしていました。

——— 奈良の博物館とは、縄文時代的な物ですか?

茉耶: 縄文時代まで遡らなくて、割と近年のものです。

例えば、人力で作業していた時代の林業や農業の道具。唐箕(とうみ)、足踏み脱穀機とか。父の専門は、仏教民俗学で、地域に昔から根付いた祭りや仏教行事を熱心に調査していました。

——— 生まれも育ちも奈良県なのですね。

茉耶: はい。18歳まで奈良で育ち、19歳から北海道です。

———今回リレーインタビューのバトンを、茉耶さんへ繋げてくれた波多野信夫さん(第10話)との出会いは、どのような形でしたか?

 

波多野信夫と吉澤茉耶
波多野さんと茉耶さん

 

茉耶: 波多野さんとの出会いは、2013年頃で、出会った当時は、まだ吉澤俊輔さんと結婚する前でした。

当時、私は北海道黒松内町にある、ぶなの森自然学校で働いていました。

自然学校の仲間と一緒に、島牧ユースホステルでイベントがあって参加した時に、波多野さんに初めて出会いました。

——— 最初の波多野さんの印象は?

茉耶: 「自然豊かな村の面白いおじちゃんだな」って思ってて。そしたらどうやら波多野さんも、「面白い子が村に来たぞ!」と思ってくれていたみたいです。

やがて、「小さな町の小さなマルシェ」の主催者だった島牧ユースホステルの吉澤俊輔さんが自然学校に講師としてきてくれたりとご縁があり、俊輔さんとの結婚を機に島牧村に移住しました。それでより距離も近くなりましたね。

 

島牧ユースホステル
島牧ユースホステル

 

——— 島牧ユースには、我々も大変お世話になってます。

茉耶: 波多野さんには、私がそれまで学んできた経験を生かせるような機会をいろいろいただきました。

森の幼稚園のイベント企画や、自然観察会の企画、田んぼの会の運営など、島牧村の豊かな自然を生かす企画に関わらせてもらいました。

自然の豊かな島牧村で、いろいろなことを学びながらお手伝いさせていただきました。

 

北海道 島牧村
北海道 島牧村

 

——— 第9話がご主人の吉澤俊輔さん。第10話が波多野さん。そして第11話でリレーバトンが茉耶さんへ戻ってきた感じですよね。

茉耶: そうですね。

俊輔さんは、波多野さんにお米作りの田んぼや畑のことなども教わり、島牧型農業のことで一緒に協力したり、ユースのご飯もずっと波多野さんの無農薬稲架掛け米ですし、お世話になってます。

——— 茉耶さんが黒松内の自然学校で働く前のお仕事は?

茉耶: 北海道南部にある道南地区野生生物室というところにいました。

仕事内容は、ヒグマのヘアトラップ調査がメイン、そのほか、道南地区のヒグマ目撃情報のデータベース化などです。

江差のある檜山地方(ひやまちほう)は、北海道のヒグマ管理を考えるうえでモデル地区となっており、当時は北海道のヒグマの個体数を推定するための実験モデルを作るということで、道南地域のヒグマの個体数を推定するために、ヘアトラップ調査と言って、森の中に、50地点ぐらい有刺鉄線を張って、そこに来たヒグマ毛を採取してまわる、というのが仕事でした。

 

——— 50箇所も?

茉耶: そう。50地点を週1回必ず見回り調査しなければいけなくて、1日ではとてもまわり切れないから、5日間かけて全部まわる、それを夏の間中、毎週毎週やっていましたね。

トラップのクマの毛を採集したり、自動撮影カメラの動画データを回収したり、サンプリングするという作業です。

——— 自然や熊との関わりのあるお仕事を長年されているのですね。2018年は、島牧村にもクマが出没して騒動になりましたね。

茉耶: そうですね。島牧村でのヒグマの出没は、全国ニュースの報道で大きく取り上げられました。

その時は、事態が収束するまでは「島牧村のクマ対策は猟友会の人が任されているから」と思って距離を置いていたのですが、自分の家のコンポストが壊されたので電気柵を張ったり、「小さな町の小さなマルシェ」で普及啓発のためにクマブースを出展したり、その後役場の知床財団への視察をコーディネートしたり、視察の内容を議会・猟友会向けに報告会を開催したりしました。

自分のそれまでの経験が全て無いとできなかったな、必要な経験は、実は一通りやっていたんだなと思いました。

——— 村にクマが出没した後のマルシェ(小さな町の小さなマルシェ)で、茉耶さんはヒグマに関するブースを出展されていましたね。「自分がやらなきゃ!」みたいな使命感があって?

茉耶: もともとあの回のマルシェに私自身は出展の予定はなかったのです。

でも、出ていたクマが駆除されたことがきっかけで、マルシェの一週間前になって実行委員のメンバーから「クマのこと知りたい」と、提案を受けて。

クマのことなら私にも出来るかなと思って、急遽出展することにしました。

 

北海道TV 吉澤茉耶
ヒグマ対策ブースを出展される茉耶さん

 

——— 子供たちにもクマへの関心と興味をひける素敵な展示でしたね。しかし実際に、目の前にクマが現れたら本当に怖いですけど。

茉耶: はい。実際に、もし、「自分の家にクマが来たらどうするの?」とか、「子供を外で遊ばせる時にどうクマを意識すればいいの?」と聞かれることが多かった。

みんなもっと具体的な対策や情報が知りたいんですね。

2018年の10月当時は、島牧村のクマ対策に関する議論は、「今回の困難なケースを受けて今後のクマ対策をどうしていくか」という安全対策面より、「猟友会への報奨金や補助金の妥当性」という方向にいっていました。

2018年のクマ対策にかかった費用は妥当ではないという議会、どれだけの時間と努力を払ったか理解していないと主張する猟友会、知識も使える道具も限られている中で最善を尽くした役場と警察もいる。とりまとめが煩雑になっていた状況で、クマのことで私が出しゃばる事でもないなぁと思ったりもしてました。

しかし、一般の村の人達からは、「具体的にはどうしたらいいの?」「自分でできるクマ対策は?」という質問を受けることが多く、それだったら、私にもできることがあるかも知れないと思い、行動に移したんですね。

島牧村のクマ対策に関する議論を動かしたい。なぜかというと、北海道のほとんどの地域でクマ対策が、自治体任せであり、自治体からは猟友会に任されているのが現状なので、島牧村で起きたことは決して特殊な事例ではない。

——— 北海道全体でクマ対策を大きく次に進めなければいけないタイミングが来ている。

茉耶: はい。でも、それを自分が本気で進めるには、今まで自分が経験してきたことでは、足りない部分があるとの実感もありました。

そんな中、北海道で最も先進的なヒグマ対策をしている知床財団でお仕事の話があって、今がタイミングと思い、島牧からは遠い東の地ですが、娘のはると一緒に知床へ行くことにしました。

——— ヒグマ対策第一線の知床へ。タイミングだったのですね。

茉耶: そう。私やっぱり、クマに動かされていますね。笑

 

知床財団での活動


 

——— 知床では「餌やり禁止」など多くのメッセージを見ました。

茉耶: はい。クマが普通に暮らしている地域なので、車にステッカーを貼ってくれていたり、道の駅のトイレに「ソーセージというクマの話」のポストカードが貼ってあったりしますよね。

財団の活動は、人とヒグマが不幸な関係にならないように、まず人の側のマナーが必須として、それを伝えていく仕組みが大切になります。

8月から知床五湖は、「植生保護期」になり、ヒグマ情報を伝達するなど、観光で来られた大勢の方々にヒグマレクチャーをしていますよ。

——— えっと、「植生保護期」ってなんでしょうか?

茉耶: 知床五湖の散策は、「植生保護期」「ヒグマ活動期」「自由利用期」の3つがあります。(2019年現在。2020年からは「自由利用期」が「植生保護期」に変更され、「植生保護期」と「ヒグマ活動期」のみとなる。)

これはクマの活動に合わせて時期を分け、散策方法を変える仕組みです。知床五湖はヒグマの住処なので、散策するためにはヒグマレクチャーを受けなければいけません。

「ヒグマ活動期」は、ヒグマの繁殖期で、ヒグマがレクチャーだけでは対処できない行動をとることも多いので、ガイドツアーへの参加が必須となっています。

逆に、「自由利用期」は、ヒグマレクチャーを受けなくても散策できる時期です。

そして、「植生保護期」は、繁殖期ではないけれど、ヒグマが五湖園地の中で食べ物を探すことが多い8月から10月の間です。

ヒグマレクチャーでは、ヒグマの生息地を散策する上で守らないと危険なことや、出会わないためにはどう気をつけたら良いか、出会ってしまったらどうしたら良いかなど、具体的に伝えています。

 

 

——— ルールとマナーの中に、ガイド要素を含めているのですね。

茉耶: そうですね。ただ観光に行っただけでは、「ふーん」みたいな感じでも、話を聞いたりすれば見方が変わったり、違う発見もあると思いますよ。

例えば、その土地の歴史だったり、人と人の関わりだったり。ただ観光地として立ち寄っただけでは見えないものが、地元の人とのコミュニケーションを通じて、見えるようになる。

その地域の成り立ち方や繋がりだったり奥行きだったりが見えるようになって帰っていただくのは、観光業として目標でもあります。愛着が湧きますよね。

——— 我々も茉耶さんのレクチャーを受け、人の想いがあるっていうことを知りました。 知床を訪れる方の観光マナーやモラルは、知床財団の努力で変化していってますでしょうか?

茉耶: GWは家族連れも多く、1日に8,000人ほど観光に訪れる日もあります。年間では5万人ほどにヒグマレクチャーをしています。

ヒグマとのお付き合いの仕方をちょっとでも知って帰ってくれる人が5万人いるってことは、この制度が始まって10年でざっと50万人、続けていけば相当な普及啓発になると思います。

ただ知床で活動していて思うのは、基本的にはリピーターの割合が少ないのです。

新しく来る人が多いということは、知床のルールを知らずに来る人がほとんどであるという状況としては変わらないということなので、長年続けていることがマナーの向上に貢献しているかというと、そうとは言い切れないところはあります。

でも各々のホームに帰って、なにがしか行動を変えるポテンシャルになっているとは思います。

 

 

——— きっと、世界に広がっていくことでしょうね。

茉耶: 情報発信も財団全体で協力して行っていて、知床五湖ではヒグマの新規痕跡、出没があったりすると更新することになっています。

知床五湖も、自然センターも、毎日情報を更新していますよ。私も自然情報ブログを通じて情報発信したりもしています。

 

 

——— 知床財団は30周年を迎えたようですね。

茉耶: はい。知床今財団は、これから先の100年を見据えて活動して行かなければならないことを自覚しています。

次の100年を10年ごとに区切って、100年後の知床はこんなことが実現されているといいな、そのためにはこの10年で何を達成すればいいかな、ということを考えています。

例えば、今回の10年プロジェクトには電動の自動運転車などの動力系構想もありますよ。シャトルバスを使ったアクセスサービスの提供によってマイカー利用をなくすことで、ヒグマに対する観光客の行動をコントロールするという目標などもあります。

——— ヒグマと人の自然な付き合いの仕組みが、世界中に未来にも伝わっていけば良いですね。

茉耶: 人にとっても、クマにとっても、お互いにハッピーになれる。

そんな仕組みが北海道の他の自治体にも広がって欲しいし、知床財団でこれまでやってきた活動が、他の地域でも参考になるのではないかと考えています。

 

地域ごとに違うクマの習性を知るために

吉澤茉耶とはるちゃん

 

——— 大自然でクマが出ることは当然ですが、突如として村に現われるようなクマは、人慣れしてきたのでしょうか?

茉耶: 慣れたというよりは、人里に食べ物があるということを、結構早い段階で学習してしまったんだと思う。

山に近い市町村では、その近くを生息域とするクマは、人間の生活のすぐ近くで生活している訳ですから人間の生活のことを良く知っています。

——— クマに生活を知られている?

茉耶: はい。人間は怖いなってクマの方で一線はひいてて、普段は自分の姿は見られないように、ひっそりと生活しています。

けど、何らかのきっかけで人の食べ物の味を知るというファーストステップを踏んでしまうと、今度は簡単に民家のシャッターを壊したり、窓を割ったりして食料を食べに来てしまいます。警戒心が一気に下がってしまうんです。

本来は、クマを目撃した時にも、車を停めて写真を撮ったりせず、人の方でクマの人慣れを助長させない行動をしていれば、クマの人なれが問題行動につながることは少ないと思います。

 

 

——— 島牧村ではクマが漁港のホッケを食べに来てしまいました。海を泳いでいるところも目撃されてます。漁港にホッケを置きっぱなしにしているのが村では普通ですが、ここ知床ではそんなことやっていない。知床財団は、道内でも早いうちにクマ対策を始めていたのですね。

茉耶: はい。かなり早くやっていました。

これまで知床財団が先がけてやってきた活動やノウハウを道庁などと協力して全道に出していける仕組み作りをやっていく必要性を感じてます。

——— それはすごい貢献になると思いますね。

茉耶: ただ、実際は課題も多くて、財団でもクマ対策スタッフは人数も限られています。

知床内の活動だけで現在はいっぱいいっぱいで、そう簡単に他の地域へ人員を割けないのが現状で。

 

左:知床財団スタッフの方々 右:刑部広平(インタビューア)
左:知床財団スタッフの方々 右:刑部広平(インタビューア)

 

広い北海道では、地域地域で人もクマも環境も違うので、全く同じ対策ではなくて、その地域毎のやり方があります。

住民がどういうクマ対策を望むか、ということも、地域によって違います。

例えば、これまで島牧村では人家周辺にクマは出没していなかったし、それこそ漁港に降りてきているという情報もなかった。2018年が初めてです。

——— そう言えば、札幌市内でもクマ出没が話題になってましたね。

茉耶: 札幌市は、約10年前から市街地近くでの目撃がはじまり、現在では、市街地近くで子連れのメスグマが歩いています。

どういうことか言うと、

1・最初に若いオスグマ
2・単独のメスグマ
3・子連れのメスグマ

生き物の分布域拡大プロセスとして、オスが最初に来て、そこにメスが来て、繁殖してそこに定着する、という流れがある。ヒトもそういうところありますよね。

これは札幌では、ヒグマは完全に市街地近くに分布域を拡大して定着したということで、この状態にこの10年で到達したということなんです。

 

 

——— 出没から10年で定着した。

茉耶: 札幌市は人口197万人が住む都市で、そのすぐ横にクマが住んでいるというのは、世界から見ても異例なようで札幌だけのようです。

そして札幌市は、ヒグマとの共存を掲げる方針を明確に出しましたね。

方針が決まったら、あとは自然にやることが決まってきます。札幌市ヒグマ管理計画には普及啓発や電気柵などによる防除、誘因物管理といった、問題グマを作らないための対策をやるとうたっています。

しかし、島牧村のように、村として方針も出ていない場合、まず方針を出すことが必要になる。

同じ村に住むヒグマと、これからどうやって付き合っていくのかは、村の人達が選んでいくことだから私はそれを待っています。

 

 

——— 自治体として、クマ対策の方針を明確にすることが大切。

茉耶: はい、そうですね。

知床財団のクマ対策スタッフは、網走(あばしり)には、委託事業として依頼を受けて行っています。

札幌市の定山渓(じょうざんけい)にあるキャンプ場でも、毎年研修を行うために財団スタッフが行ったり、知床にキャンプ場スタッフが来たりしています。そのために自治体やキャンプ場がきちんと予算を組んでいます。

やはり、財団が知床から他の地域に出ていくことは距離的な問題や人員不足で、なかなか難しいかもしれない。

でも今、知床財団が長年ヒグマとの関わりの中で培ってきた、地域のクマ対策を作り上げていくスキルはとても重要で、その必要性が北海道各地で高まっていると感じています。

各地域特有の環境や自然に沿った、その地域に住む人で出来る対策の可能性について伝えていくのは今だと思っています。

——— 茉耶さんは、世界有数のリゾート地である軽井沢の「ピッキオ」でクマ対策スタッフのお仕事もされていましたよね?

茉耶: ピッキオでは、ツキノワグマ対策チームで仕事していました。

ピッキオでは学生の時からいつか働きたいと思っていました。

これ、ピッキオが出している本ですが、この本が大学にあってすっごく面白くて好きで。

 

森の「いろいろ事情がありまして」ピッキオ(著)
森の「いろいろ事情がありまして」

 

こんな風に、自然を伝えていきたいって想いがありました。

——— 軽井沢の別荘地にもクマはいるようですね。

茉耶: はい。ピッキオは、基本的に防御により力を入れてます。

例えば家庭菜園のトウキビ畑にクマが出没したとなったら、そのトウキビ畑だけではなく周りの家庭菜園にもバーーーってすぐに電柵を張ってあげる。

知床では、そこまでやらなくて、あくまで出没したクマの対応と注意喚起、対応は自身の判断にお任せします、という感じですね。 知床でも、小学校でのヒグマ授業や地域住民への普及啓発はやっています。

しかし軽井沢のように、そこまで丁寧に防御に労力を割いてはいませんね。

——— やはり地域毎に環境や事情が異なるということでしょうか。

茉耶: はい。まずクマの生息環境や密度が違ったり、地域の生業や生活の仕方が違ったり、知床の国立公園地域では「クマがいていい場所」と決めていたり、地域によってかなり状況が違いますね。

ただ、軽井沢も知床も共通点は「クマと共存するよ」という方針を出している、という点は同じだと思います。
しかし、「じゃあクマとどう共存するのか?」っていう、対策方法が違いますよね。

——— 鉄砲取った方がいいよって地域もありそうですが。

 

 

茉耶: 市街地近くや夜間は撃てないっていう物理的な理由、野生動物との共存理念、地域毎のクマの性格など、大筋はそこまで変わらないけど。

環境の違いもあると思いますが、軽井沢のピッキオはもうそこのステップを過ぎていますね。

ピッキオも、かつて別荘地にクマが出没し、ゴミを漁られて、「なんとかならないの?」っていう時期がありました。

それで、ゴミステーションをクマ対策ゴミ箱に変えて、クマがゴミを漁れないようにし、そしてさらにベアドックを導入して、クマの追い払いと学習付けができる状態をつくっていきました。

軽井沢の現在は、クマをどう餌付かせていかないか、どう棲み分けるか、っていうステップにいるので、殆ど駆除がない状態です。

——— それは素晴らしいですね。やはりクマ対策にはスキルが必要というか。

茉耶: はい。そうですね。何よりも大切なのは、その地域の人で出来ること。地域で解決できるように対策の提案していくことは必要です。

——— 地域毎にクマ対策チームが上手く機能していけば良いですね。

茉耶: はい。クマ対策のチームを立ち上げる、そのお手伝いはしていきたいと思ってます。

私もこの知床財団での活動を基盤にして働きかけ、やはり自然、クマのことにもっと貢献していきたいと考えてます。

なので今、このタイミングでビアストラのリレー取材を受けれたことは、とても有難く思ってます。

 

自然を愉しむ

 

——— 軽井沢ピッキオさんの自然の伝え方には、どのように共感したのでしょうか?

茉耶: はい。植物でも動物でも森でも、1個体1個体区別して、それを個体識別というんですけど、それぞれがどういう生き方をしているのか、生き物同士がどういうつながりをしているのかというのを丁寧に観察し、ストーリーとして伝えていくところですね。

私はアラスカに留学していた時期がありましたが、それ以前に、北米の国立公園にクライミングしに行ったりもしていました。ヨセミテとか、ジョシュアツリーとか。すごく楽しかった。

留学の理由は、日本と海外の国立公園管理の違いに、「なんで向こうはあんなに楽しめて、こっちはこんなに窮屈なんだろう」っていう疑問があったからかな…。それで、原生の自然の遺るアラスカに、国立公園の仕組みと、野生動物管理、それとアウトドアレクリエーションの管理を勉強しに行きました。

北米では国立公園局(国の機関)が野生動物調査を行っています。日本は国立公園であっても、専門官がいて調査をやるような仕組みはないですね。

アラスカでは、そこの自然がすごく愛されていて、その自然環境を遺していきたいっていう人々の想いもすごく伝わってくるの。

でも、日本の場合はと言うと…、

「自然を守るために、人は入ってはいけません、以上!」

というのがほとんど。規制して終了、というような現状があり…。

——— 本当に同感ですね。茉耶さんのインタビューなのに、私(インタビューア:刑部)が話すのも変なのですが、、。自分はフライフィッシャーですので「釣り禁止」って看板を見ると、「あぁ、ここは保護河川なんだな」って分かるのですが、知らない人からしたら「何で?」ってなると思うのです。

茉耶: あっそれ確かに!

 

 

茉耶: ピッキオの自然の伝え方や、アラスカのアウトドアの楽しみ方に対して、日本の国立公園の管理方法は…。

「ここで遊んでいいの?」「ダメなの?」

それがよく分からないんですよね。

そもそも迷わなくてはならないことが、楽しむことを邪魔してしまう

それでは自然に対して感心も愛情も薄れてしまうと思います。

——— 釣り人観点で言ったら、実は釣り人が1番川のことをよく知っている。魚のことも知っている。海や川が本当に好きで、コアで深い部分のその場にいる釣り人にしか自然を守れない部分はあると思います。茉耶さんがアラスカのアウトドアや軽井沢のピッキオに魅力を感じたと言っていることは、そこと一緒だと思うんですよね。

茉耶: そう!自然を楽しむ気持ち、それを肯定することが最初にあるの。

大学で淡水魚の研究していた時、全国の川を廻ってカジカという魚を採集する、というミッションがありました。ちょっと見ると森に囲まれてすごくいい川だな、と思っても、全く魚が取れない川がある中で、たいしていい川に見えなくても、釣り人がいたり、子どもがもぐったりして遊んでいる川で意外と魚が豊富な時もある。それで、もしかして、自然が守られるということは、そこを大事だと思っている人が必要なんじゃない?って思いました。

自分も大自然の中で思いっきり遊びたいし、自分の子どもにも、孫にも、遊ばせてあげたいよね。

じゃあ100年後、200年後に同じ環境を楽しめるように遺していくためには、私たちはどう自然と付き合う?って考え始める。

最初に、自然を楽しみたい想いがあって、それが自然を守ることに繋がるんだと思います。

 

 

——— 自然保護に繋がっていく。

茉耶: そう。私の最終目標は、全ての生き物、人間も含めて自然体で生きられて、楽しめる場所を作ること。

本当の素の自分に戻って、素手でやらなければならないような場所が好き。

ネットにもガイドブックにも載っていないような山を登ると、そういうの初登というんだけれど、自分が自然の中でどこまで何ができるのか?って、分かるじゃないですか。

大自然の中で、今自分が持っている装備と技術だけで勝負しないといけないその感覚はとても楽しいです。自分の全能力で自分は生き延びられるか、っていう。それが原点。

島牧もそういう場所ですね。

 

今後の展望

——— 茉耶さんの今後の活動や展望をお伺いさせてください。

 

吉澤茉耶

 

茉耶: はい。いまの時点でハッキリしているのは、2つあります。

1つ目は、島牧に奇跡的に遺されている自然を守る仕組みを、島牧村に合った無理のない形で作りたいっていうことです。

ヒグマに関しては、まず道庁に働きかけて、村と一緒に北海道のヒグマ管理計画を動かしたい。

2つ目は、私個人の目標として、ベアドックのハンドラーになることです。

ベアドッグと一緒に、今ヒグマ対策を考えなければいけない地域で、どんなクマがいて、どういう風に対策を考えていったらいいのか、一緒に考えるお手伝いができる人になりたい。

未来のことを考え、本来の自然をそのまま楽しめる仕組みを作っていきたいですね。

——— 素晴らしいですね。茉耶さんのご活躍を、ビアストラとしても応援し見守っていきたいと思います。

 

次回ゲストのご紹介

——— 最後にビアストラのリレーインタビューに、茉耶さんから次回ゲストのご紹介をお願いできますか? 茉耶さんの中で尊敬できて善に貢献されていると思うような方で。

茉耶: はい。OK。そうですね。

ビアストラは、食がテーマですものね。本当に美味しいと思うパン屋さんを紹介したいな。

それか、そのパン屋さんが学んだ師匠さんというか、函館なんですけど…どこにしようか迷ってしまいますね。

 

 

——— すいません。もう、よだれが出そうです。函館って、多分ですが、ここ知床から道内で一番遠い場所ですよね?(笑)

茉耶: (笑)そうね遠いね。でも大丈夫でしょ?(笑)連絡とってみます。

——— ありがとうございます。あ、話は変わりますが、茉耶さんが知床に来て好きになったご飯屋さんはありますか?

茉耶: えーと、あんまりお店自体がないのですが、「しおかぜ」って定食屋さんがあって、そこのマスターはウトロの愛護少年団(子どもたちがアウトドアを楽しむ活動を行っている)の団長をやっている方で、自分で釣ったチカを料理して出してくれたりする。魚料理がおいしいです。

あとは、ランチだと「うみねこマーケット」さん。俊輔さんも行っているんだけど、そこはお墨付きですよ。わたしだとあまり使わない食材の組み合わせで、メニューを見ると一瞬どんな味かな?と思うのですが、絶対間違いないです。体がほっとするお料理です。

あと、「波飛沫さん」ってラーメン屋さんなんだけど、そこもおつまみとか美味しいですよ。

——— 茉耶さんが言うなら、みんな美味しそうです。

茉耶: リレーの紹介って、私より前の人の了解も取らなくていいの??

——— 今まで前話と前々話の方にも、次にこのような方にリレーが伝わりそうです、と、自然と共有してましたが、今のところ、全票賛成しかありません。

茉耶: みんな知り合いのようなものだしね。

私もどのように方に繋がっていくのか、今後がとても楽しみです。

——— はい。ご紹介楽しみにしています。それでは最後になりますが、長時間に及ぶインタビューをさせていただき、本当にありがとうございました。本当に素敵な知床。実はもっともっと滞在していたかったです。

茉耶: はい。あはは! またきてね、ゆっくりしていってね。こちらこそ。ありがとうございました。

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Staff

編集後記

茉耶さんにはご主人の吉澤俊輔氏の取材で出会い、ちょうど3年。改めて吉澤茉耶さんという人物について、誠に勝手ながら考えてみました。

気遣いと配慮、決して絶やさぬ笑顔と和やかな雰囲気とは裏腹に、自然との調和性を常に洞察する、強い芯のある内面が垣間見える。

多様性ある環境に身を置き、良い意味で人を惹きつけ、自然と共に生きる指南役としても深い才覚を持つ方です。

お話しをする度に、自然の楽しみ方、アウトドアの注意点や、自然造形の成り立ちまで、独自の視点で展開されていくお話の中に、いつも自然に対する深い愛情を感じ取れる。

深淵な自然環境に暮らしながらも、都会生まれの我々の生き方も否定せず、あたたかく受け入れてくれる優しい存在。

さすがユースホステルというアウトドアの達人が集う旅館業の中、出会いと別れを繰り返してきただけあり、その知識の懐は限りなく広くて、他者の生き様を関心をもって見守ってくれる。それは自然のように心が豊かな感性のままである証と思います。

そんな茉耶さんが満を持して展開されたヒグマ対策管理のノウハウ提供はまさに、自然暮らしに回帰されたい方々にとっても必要な知識が多く詰まっており、大げさかもしれないが、世界、日本の自然環境の未来と本質を切り拓く、重要な鍵を握ったサービス展開になるのではないだろうか。

堀田健志